ちょっぴり優雅な時間

旧古川庭園の薔薇が満開を向かえたと聞き行って来ました。

ちょうど春の薔薇フェスティバルを開催中でたくさんの人がカメラ片手に薔薇を楽しんでいました。

洋館はイギリス人建築家 ジョサイア・コンドルの設計で薔薇のお庭が良く似合いますが、

洋館の下に広がる和のお庭は京都の造園家 小川治兵衛によるものです。

和と洋が見事に融合した素敵な旧古川庭園でした。

優雅と言えば先日行ったアフタヌーンティーもとっても優雅な時間でした。

そして銀座歩きで新しくできたシックスへ。

ロンドンのサウスケンジントンの駅前にあったベンズクッキーでイギリス生活を思い出す優雅な時間。

でも頂いたのは銀座 ひがしやのお茶と和菓子。

ムーミンカフェでフローレンスとお茶する時間

ちょっと田舎で過ごす時間


駒込界隈町歩き2 

先日 駒込駅前で染井吉野桜記念公園を発見してから、気になっていた江戸時代に植木屋さんが軒を連ねたと言う辺りを探しながら町歩きです。

大名屋敷がたくさんあってその庭を管理するためにたくさんの植木屋さんがいた染井村で地主でもあった丹波家の屋敷後が公園になっているらしく 探して行くと立派な門が見えてきました。
豊島区の説明によると

門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式です。正確な建築年代は不明ですが、修理の記録等から江戸時代後期に建てられたものと推定されています。現在も植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として地域の方々に親しまれています。平成19年8月に豊島区指定有形文化財となりました。

とありました。

立派な門のある公園は「門と蔵のある広場」という名前で園児達が賑やかに遊んでいました。

蔵の説明もあって

旧丹羽家の蔵は、江戸時代から明治後期まで染井を代表する植木職人として活躍した丹羽家の八代目茂右衛門が、昭和11年、九代目の結婚の際にもともと木造土蔵造りだった蔵を鉄筋コンクリート造りに建て直したものです。築後70年以上が経過していますが保存状態は良く、昭和初期の建築当時の姿を残していることから、平成19年12月に国の登録有形文化財建造物として登録されました。



植木職人で地主でもあった旧丹波家の邸宅跡地を整備したものと言う説明で公園の中には巨大な庭石や水が流れていたであろう跡や敷石跡も残されていました。

そして公園の隣の駒込小学校で見つけた説明文

門と蔵のある広場から西福寺や染井稲荷神社前を通り染井よしのさくら公園まてやって来ました。

染井吉野の発祥の地とあり公園にも桜ゆかりの名前が多いですね。

そして駒込小学校の裏あたりにある妙義神社にもお参りに行きました。

江戸城を造った太田道灌が必勝祈願したそうです。

帰り道 先ほどの説明にあった江戸時代 振り袖大火の後に整備された染井通りを歩いていると立派なマンションの敷地に桜の大木がたくさん生えているのを見つけました。

マンションの隣には染井の社公園があり、その向かえ側には「花咲か 七軒町 植木の里 」の石碑があり「私の庭 みんなの庭」と書かれた札のあるひなびた門があり、その奥には秘密の庭のようなひっそりとした緑の庭がありました。

もしかしたら此の辺りに江戸時代 大名の庭の手入れをした植木屋さんの集落があったのかなぁと思いつつ染井通りを歩きました。

コマ ゴルフガーデンの中の巨大なレバノン杉

亀戸界隈 町歩き

藤の季節になりました。

久しぶりに亀戸にやって来ました。

亀戸の由来は、昔 この地は亀の島と呼ばれる海上の島だったそうです。

この亀の島に亀村と呼ばれる村が出来て 村にあった亀ヶ井と言う湧水が有名になり亀村と亀ヶ井が混ざって「亀井戸村」なったのだとか。江戸時代 「井」がなくなり亀戸村になったのだそうです。

駅前から亀戸十三間通りではなくって、亀戸横丁を歩いて行くと、亀戸ぎょうざの店先には長い行列が出来ていました。

今日は横丁にある豚カツの萬清でお昼ごはん。今月末で閉店するとの事で奮発して特選豚横綱トンカツを頂きます。

真ん中が少し赤いくらいの厚い豚カツでお腹が一杯になったので腹ごなしに亀戸香取神社や梅屋敷跡地まで足を延ばしました。

亀戸香取神社の創建は古く天智天皇4年(665年)で戦に勝った武将の故事に由来して武道やスポーツの必勝祈願に御利益があるそうです。

神社内の願い石に願をかけると勝負運がアップするのだとか。

神社内には亀戸の名前の由来になった亀ヶ井もありました。

歌川広重の浮き世にもある梅屋敷を目指している途中に野菊の墓の伊藤左千夫のお墓のある普門院前を歩きやっとこさ 梅屋敷の跡地を見つける事ができました。

名所江戸百景の歌川広重の梅屋敷の浮き世とおなじく藤と太鼓橋の浮き世で有名な亀戸天神を目指しまた歩き始めました。

学問の神様として親しまれている亀戸天神の藤の美しさは格別です。

創業200年以上と言う船橋屋さんでくず餅を頂きたかったのですが、あいにくの行列で亀戸駅近くの売店であんみつを買って帰りました。

折しもこどもの日も近くあちらこちらで鯉のぼりを見かけました。

牛天神 春日の町歩き

春日一丁目にある牛天神はメトロ春日駅から歩いて十数分の場所にある天神さんです。(最寄り駅は後楽園)

春日駅を出ると神田上水の石樋(せきひ)の看板を発見。

良く見てみると石が並んでいてそれが石で造られた水道管のようなものらしいのです。

文京区のタウンガイドを読んでみると

生活に切っても切り離せない水道──江戸・東京の水道はじめて物語は、文京区に始まります。
江戸に幕府をおくことになった徳川家康は、すぐに都市計画に着手します。そのひとつが上水道の整備で、天正18年(1590)年に江戸入国した家康の命により、大久保藤五郎が現在の文京区に小石川上水を開設します。
 

小石川上水の水源、水路等の詳細はわかっていませんが、慶長8年(1603)の開府前後のことで、これが最初に江戸に敷設された水道となり、神田上水に発展していったと考えられています。

神田上水は井の頭池を水源とする上水道で、文京区関口に堰を造って、そこからは人工の水路によって江戸市中に給水しました。これが一般にいわれる神田上水で、関口から本郷までの文京区内を通っていました。
 

神田上水は明治34年(1901)まで江戸・東京の上水道として利用され、その後、近代水道が整備されて撤去されましたが、堰の跡や水路の遺構などが残っていて、現在もそのルートをたどることができます。
 

また、俳人の松尾芭蕉が神田上水の水番人をしていたことも知られています。

とありました。

そんな貴重な石樋を後にして牛天神を目指しました。

牛天神下の交差点から少し上り坂になった道を歩いて行くと北野神社という石柱と牛天神の文字が目に飛び込んできました。

かなり急な階段を登って行き鳥居をくぐるとまず太田神社、高木神社がありました。

太田神社は芸能の神様 高木神社は豊穣の神様を祭っているようです。

そして御神木の木槲があり北野天満宮がありました。

神社の由緒書きを読んでみると源頼朝が創建したとのこと。

説明によると


御由緒:創建は1184(元暦元)年とされ、元は金杉天神と号した。

鎌倉幕府成立前の1182(寿永元)年、源頼朝は当地付近の入り江にあった松に船を繋ぎ留め、波風が収まるのを待っていた。
その間、頼朝の夢に牛に乗った菅神(菅原道真)が現われ、頼朝に二つの幸事が起きることと、成就の暁には必ず社を造営して報いるよう告げる。
眠りから覚めた頼朝の傍らには菅神が載っていた牛によく似た形の岩石があり、これを牛石と呼んだ。
同年、頼朝と北条政子の間に嫡男・頼家が誕生、翌1183(寿永2)年には平家方が都落ちし朝廷は頼朝による東国支配権を認めるに至る。
これにより、頼朝は当地に大宰府天満宮の御分霊を勧請・神領等を寄進し、牛石を御神体として当社が創建されたとされる。
元は今より東に社地があったが、寛永年間(1624年~1645年)に水戸藩邸が作られため、現在地に遷されたという。
当時は三千坪あまりの敷地があり、門前町は小石川有数の繁華地であったと伝えられている。
1872(明治5)年、村社に列せられた。

とのこと。

説明の「近くの入り江」に不思議に思い境内をぐるりと回ってみることにしました。

かなり急な階段をあがってきたので辺りは高台になっています。

北側には細い急な坂があり説明看板がありました。


古くは潮見坂 牡蛎殻坂 鮫干し坂など海に関係する名前で呼ばれていたのは中世はこのあたりまで入り江であったと考えられているそうです。

牛坂の名前の由来になった牛石は牛天神の境内に祭られていましたが、昔はこの牛坂の下にあったのだとか。

社殿にあった説明書きの東国征伐の時の夢に菅原道真が牛に乗って現れ目が覚めると傍らに牛に似た石があったとされる石がその牛石なのだそうです。

源頼朝の願いが叶ったようにこの牛石を撫でながらお願いするとかなうと言われているそうです。

神社のホームページには富岳三十六景の浮き世の説明もありこの牛天神の茶店から富士山が見えたようです。

天神さんの高台から下り、天神さんあたりを写真に納めてみると結構な高さがあり、中世は坂下あたりは入り江だったのかと思うと今の風景が不思議に思えて来ます。

牛天神下のツツジは盛りで美しく咲いています。

夜はラクーアのババ ガンプで久しぶりに夕飯を食べて帰りました。

駒込界隈町歩き 六義園や東洋文庫

http://www.museum-cafe.com/museum?muse_id=1483

駒込駅からのぶらぶら歩きです。

駒込駅を六義園に向かって歩き始めると直ぐに駒込橋を渡りますが、橋の下は川ではなくって線路になっています。

そう言えば 駅前には古い石の橋の欄干があって やはり駒込橋の名前があります。

何やら面白い歴史の匂いがしますが、なんの説明書きもないので、また調べてみたいと思いつつ先に進みますと、六義園の染井門が見えてきました。

今日は染井門は閉じていましたが、正門は開いているようですので、正門に向かいました。

正門から直ぐ入った辺りに六義園の有名な枝下桜があり 今は緑の葉っぱに覆われてこんもりとしています。



六義園の正門前には アンパンマンで有名なフレーベル館のやっているフレーベル 子供プラザがありました。

フレーベル館を少し覗いて 更に東洋文庫ミュージアムまで足を伸ばしました。

東洋文庫ミュージアムには東洋文庫図書館もありとても素敵なのです。

そのミュージアムに併設されているレストランでランチを頂くことにしました。

限定数と言うマリー・アントワネットのお重を注文すると東洋文庫だからでしょうね。

本の形をした素敵なお重が出てきました。

またぶらぶらと駒込駅に戻ると染井吉野記念桜公園を見つけました。

公園の中には染井吉野桜発祥の里 駒込

という記念碑を見つけ読んでみますとかつて此の辺りは染井村と言われていたようで六義園の染井門の名前に納得がいきました。

説明文によるとかつて此の辺りに大名屋敷がありその庭園を管理するため植木屋さんが多くいたそうです。

エドヒガンザクラとオオシマザクラが自然交配いしてできたのがソメイヨシノだそうでこの公園ではいくつかの種類の桜を見比べる事が出来るのだとか。

いつかまた桜の咲く季節に訪れてみたい場所です。

発祥の碑には江戸時代の浮き世でのお花見の様子がありました。

ワシントンから里帰りしたソメイヨシノの木もありました。

根津神社のツツジ祭りと東大のハチ公

根津神社のツツジ祭りはゴールデンウィークの5日までだったので、ツツジを見に行って来ましたが、今年のツツジはもう終わりかけていました。

それでもたくさんの人が根津神社にお参りにやって来ていました。

メトロ南北線の東大前から東大の塀に沿って根津神社に向かう途中 つらつらとした下り坂に看板を見つけました。

森鴎外の小説「青年」の中でS坂と呼ばれた坂は確かにぞんざいにSと書いたように湾曲しているように見えました。

そのS坂に面した鳥居から神社に入って行くとすぐに目に入って来るのが甘酒茶屋です。

そして楼門が見えて来ます。

この楼門は宝永三年(1706)の建立で江戸の神社の楼門で残っているのはここだけだそうです。

楼門をくぐると唐門が見えます。

唐門から社殿に沿ってぐるりと囲んでいる塀は透塀と言って300年経つのに全長300メートル 全然狂いがないそうで、最近の調査で内側全体が地中8メートルの深さまで基礎工事がされていることがわかったそうです。

ツツジが終わりだったのでツツジ園には入らずに本殿の周りをぐるりとしていると森鴎外銘水飲場と

夏目漱石や森鴎外が腰を下ろした文豪の石を発見。

文豪の石の直ぐ近くの千本鳥居参道に入って行くと六代将軍家宣胞衣(えな)塚がありこのあたりは家宣の生まれた屋敷の跡地だそうです。

根津神社を一回りして東大前に戻り

農正門から東大に入ると直ぐ左手に上野英三郎博士とハチ公の銅像がありました。

再び門を出る時に見た門の模様がとても美しかったのが印象的でした。

池袋界隈 町歩き

ゴールデンウィークの池袋のデパートでは色々な催しが行われていて 西武百貨店では昭和の日に因んでレトロな催し物をやっていました。


赤い公衆電話の展示 やっぱり懐かしい。

携帯が普及してから 公衆電話はあまり見かけなくなった。

ウルトラマングッズも多数展示されています。

昭和の居間に座るメトロン星人。

懐かしい街角。

屋台のラーメンと駄菓子屋さん。

柴又の高木屋さんで草餅と柏餅を買いました。

上野のみつばちであんみつと小倉アイス最中を頂きます。

昭和の雑誌。

昔の雑誌を保存して置いたら今ではお宝だったことでしょう。

西武百貨店から東武百貨店に移動して開催中の北海道展で並んで海鮮のお弁当を買いました。

ニューヨークのブルックリンから来ているゴリラカフェで少し酸味のあるコーヒーを飲んで立教大学のキャンパスまで腹ごなしのお散歩。

途中見つけたポスター。

ドリーム珈琲を横目に見てキャンパスに着くと八重桜の関山がまだ咲いていました。

藤棚の藤も綺麗です。

昭和の日の池袋 ぶらりと歩きでした。